MENUMENU
previous arrow
next arrow
Slider

心から立ち返り安息を得よ

今年は「立ち返り」の年、神は今また、私たちに「安息」を告げられています。安息とは心が立ち返ることです。

最近、何人かのフルタイムスタッフの健康に問題が出て来て、彼らには一度仕事を止めて、休んでもらっています。多くの場合、私たちは病気や痛みのことを聞くと、霊の戦いを思い浮かべて敵の攻撃ではないかと思います。でももし私たちに“God is good all the time, all the time God is good.”という確信があるなら、こういうことが起こっても、元々体が弱く病気や痛みがあるとしても、それも私たちにとって益であり、一種の違った形での祝福だと受け止めることが出来ます!

一般的な認識では休みとは寝たり、美味しい料理を食べりすることでしょう。もし、長い休みがとれるなら、荷物を準備して旅行に出かけ、さらに出来れば、朝早い便に乗り、帰りは遅い便で戻るようにします。ようするに彼らは思い切り遊んで、時間を使い尽くそうとします。たとえ暇な時間があっても、むしろ、足を休めず馬みたいに走ってじっとしていません。自ら安息を拒否しています!また睡眠によって肉体の疲れをとる必要はありますが、体と心と霊はつながっていて互いに協調関係にあります。時間のあるときに家族と一緒にいて話をし、上質な時間を過ごしたり、古い物を整理し、掃除をして住居の環境を快適にすることなどによって心と霊を洗い、リフレッシュする必要もあるのです。

なぜ教会史の中のリバイバルの期間は短いのでしょうか?それは人間の本性は立ち止まることが嫌いで、すべてのことを自分の力を頼りに行おうとするからです。人は頑固で、自分の考えがあり、自分自身を安息のない状態に追いやるのです。ゆっくりしなさいと言われても、それは難しいと感じ、走るのを止められず、最後には崩壊してやっと強制的に止まります。

その他の事については、人はある程度の頑張りで出来ますが、安息することについては力を尽くして努めなければなりません。それは人間性を逆にすることであり、川の流れに逆らって上っていく舟のようなものです。聖書は「ですから、私たちは、この安息に入るように力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。」(ヘブル4:11)といっています。安息に入ることが出来なければ、神に拠り頼むことも出来ません。

古い革袋はどうやって新しい革袋になるのでしょうか?そのためにはいのちに柔和さ、弾力性が必要です。ただ一方にだけ引き伸ばすだけでは、いつかその皮は硬くなってしまいます。そうならないためには、ただ聖霊に従順して、そのリズムに敏感になり、やっと弾力性のある者となり、いつも新しいままでいられるようになるのです。打ち壊すときもあれば、建て上げるときもある。泣くときもあれば、笑うときもある。海には満潮と干潮があり、月には満ち欠けがあります。どうように、働くときもあれば、安息するときもあるべきです!
【2018.12.2】