父なる神様が日々、私たちを指導し、導いて下さっている事に感謝します。日々起こっている出来事の中で、偶然な事はひとつもないからです。先週の日曜日の9月6日は主日礼拝日数が1000日を迎えました。その日はちょうど、ケリー牧師先生(美華)とジョニー牧師先生(長俊)の台南にある枝教会への派遣式でした。このことは「あらゆるところにいのちの木を植える」のビジョンを意味し、そして、この日は神様の栄光が満ちていました。その日、主がつくられた日に、私は詩篇113編(私と師母の詩篇)を歌うようにという思いが与えられました。私はちりあくたで、灰の中で育ちましたが、神様はそこから私を引き上げて下さいました。師母は不妊の母でしたが、今では幸せな子沢山の母となっています。私たちは主を賛美します!
ヨンヤーメディアセンターの入り口の方に飾っている「枯れ木と冬の雪」の絵画は私がバンクーバーで牧会していた頃に買った絵です。この絵画には、牧場の柵が描かれていますが、いるはずの牛や羊がいません。非常に暗い雰囲気が漂っています。詩篇113編3節がその絵画に書き込まれています。この絵は私の心を捉えました、そしてバンクーバー時代に私たちが何を感じていたかをよく表しています。葛藤していても主をほめたたえます。苦難にあっても、私達は主をほめたたえます。そして主は私たちを君主とともに王座につかせられ、幸せな子沢山の母にしてくれました。苦悩の中でも、私たちは主を賛美します。振り返ると、なんと神様が私たちを豊かに祝福さって下さった事でしょう。心から神様にあって感動しています。
時は神様の御手の中にあります。9月9日水曜日のモーニングデボーションで、民数記10章を読みました。神様の雲がイスラエルの民が荒野でいつ宿営し、いつ旅立つのかを導きました。実は、同じ日の13年前、2007年に私たちは北角(バッコク)から、千人を超える会衆と共に3つの船でビクトリア湾を渡り、荃湾の富麗花園(Wealthy Garden)に拠点(宿営地)を置き、今に至っています。富麗会堂に着くと、私は会衆を神様の前で膝をつくように導きました。神様の前で膝間ついた時、神様の臨在を強く感じました。教会がまた場所を移すことを示唆しているわけではありませんが、私たちに必ずこの新型コロナウィルスを乗り越え、前進するということを神様は示してくださっているのです。
先週の水曜日はルビー先生(Ps Ruby)の誕生日でした。ルビー先生のお父さんの具合が悪くなったので、私達はルビーがカナダにいる両親のそばにいさせる方が良いと考えました。ルビー先生は水曜日の夜にカナダへ出発しました。私たちは神様の導きを感じます。このカナダへの旅路に神様が良い目的を持っておられる事を信じます。
神様についていく鍵は、まず神様の「雲」に敏感になり、フォーカスを当てることです。次は、年に3回神様に会見するために神様の例祭を行うことです。あと一ヶ月程で、私たちは喜びにあふれた仮庵の祭りと大贖罪の日を迎えます。悔い改めなしには、神様の臨在はありません。私たちは自分自身を見つめ直し、罪の告白へと心の準備をしましょう。大贖罪の日と仮庵の祭りとはユダヤのカレンダーでは新年であり、神様が私たちの間に住まわれるということです
親愛なある兄弟姉妹の皆さん。私たちは罪を告白し、神様についていくために心を整えましょう。次の主日礼拝では、「悔い改め」がメインのテーマです。私たちは深い悔い改めに入っていき、そして大きな喜びをもって仮庵の祭りを祝おうではありませんか。私は皆さんに是非、このために準備をし、へりくだり、私たちの中にある暗闇に天の父の光が照らしますように。【2020.09.13】
ジョシュア•チャン師
本稿は611霊糧堂週報 1000号より抜粋
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