9月3日に行われた月例祈祷会で、ジョシュア牧師先生とデルフィーン師母はお互いの「Being」を褒めるように兄弟姉妹を励ましました。
先週に行われた教会スタッフのためのリトリートで、教会スタッフはお互いの「Being」
を褒め合う事を学びました。そしてそのことで彼らがどのように良い気持ちを持てたかをシェアしました。私たちは通常、お互いの「行い(Doing)」を褒め合う事には慣れています。(例:仕事の成績など) 両親が子供を褒める時、上司が部下を賞賛する時など、全てはその人の「行い」が基準となっています。そして私たちは言います「よくできました」と。そうすると私たちはさらに、この「行い」において優秀になろうとする様になります。そして更に良く出来る様になるにつれ、自分を優れた者だと思うようになります。「行い」において賞賛を受けるほど、その「行い」が私たちの存在価値となり、自分自身と置き換えられていくのです。そうして私たちの「行い」が他人と比べて劣るものなら、自分は価値のない人間だと考えてしまうようになります。
私たちはお互いの「Being」を褒めることを少しずつでも学んで行きましょう。その私達の「Being」は神様のご性質から来るものです。私たちは神様のイメージに造られたので、神様の性質が私たちのいのちの中にあります。ただその私たちの内にある美しい「Being」は褒められることなく、また人の目に留まる事が無いのです。しかし私たちがお互いの「Being」を褒めるようになるなら、それを通して神様の美しい被造物を誉め讃えることになるのです。
例えば、「優しい」「誠実だ」「思いやりがある」など、セルグループの中での私たちの言葉をお互いの「Being」を褒めることに用いましょう。