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いのちの彫刻師

私たちはヨーロッパ旅行を終えて旅の疲れはありましたが、心は元気付けられて香港に戻ってきました。私たちは早速教会の家族朝食会に聖書学校の生徒を特別に招き、神が導いてくださった奇しきミケランジェロの旅について分かち合いました。それに対する聖書学校の生徒からのフィードバックが聞けてとてもうれしかったです。

私は過去に二十年以上伝統的な教会に集っていましたが、ここにたどり着き、611教会がどのように聖霊の導きに従っているかを見てきました。師母は360度の女主人なだけでなく、万事を鋭く見通す霊の人だと思います。世俗的な人は地面に転がる石をただの石と見なし、霊の人はその石の中に天使を見て、その形に塑像するのです。私は自分にとっての石とは私の伝統であり、枠に当てはめた考え方であると思わされました。私は611に導かれて本当に祝福されています。神はここで私に自分を空にして砕かれ、新しくされて従ってくるようにと呼びかけておられます。主が私の中の天使を見つけてくださったことに感謝します。 ─陳華維(チン・ファーイー)

私は611の家族の中で、牧師と師母がスタッフだけでなく、その家族も含めて、大事小事に関わらずその人生を分かち合い、共にしていることを目にしています。牧師も師母も人のいのちを塑像していくこと、血と涙を流しながら一つ一つのいのちの木とその家族を見ていくことに共に喜んで仕えておられます。このような塑像の過程を牧会というのでしょう。同様に、私が自分のセルグループメンバーのいのちを見るときに、このような視点を持つ必要があることを念頭に置き、人を塑像する彫刻師となって、この世の人の目には一見役に立たないように見えるそれらの器を、主のために光輝く器とし、次世代に影響を与えるいのちの木としていきたいと思わされています。-林惠美(リン・フイメイ)

私が聖書学校に入ったときは丁度まだ加工されていない大理石のようでした。私にとって先生たちは私のいのちの彫刻師であって、特別な知恵による視点、つまり神の永遠の視点から私を見てくださり、将来の主任牧師とさえ見なして下さいました。現時点では私はまったく自分がそうであるとは言えないし、私のいのちはとても「低い」状態ですが、教師は様々な道具を使って、私を受け入れ、説得し、調整してくださり、神が私の身に起こるように期待しておられる塑像の計画に従って誠心誠意私を形作ってくださっています。塑像の完成までの二年という時間はすぐに終わってしまいます。しかし雛形はすでに有りますから、彫刻家たちが来て更に詳細にこの彫刻を彫っていくに任せ、神に用いられる、その御心を何でも成すことの出来る傑作となれるようになって励んでまいります。─ 鄒寶蓮(ゾウ・バオレン)

聖書学校の生徒にとって、これらは正にいのちの木育成課の一授業を受けているのと同じことです。学校での二年間の学びに浸った後、先ず彼らのいのちが彫刻され、将来、他の人々のいのちの彫刻家になることを願っています。【2019.12.08】

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