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ゆるぎなく神様を待ち望む

今、香港は苦境に立たされています。私たちは堅固な心で神様を待ち望まなければなりません。神様を待ち望むことは私たちと神様を繋げます。経済と政治がどのような状況でも信仰をもって神様を見上げ、ついていかなければなりません。

聖書は私たちに全てのいのちを尊び、暴力ではなく平安を語ることと、権威に従順になり、全ての人々と王たちの為にとりなす事を教えています。これは私たちの永続的な見解です。主を待ち望むことは、外の嵐に目を向けるのではなく、神様だけを見上げ、信仰によって進んで行くことです。神様はご自身の奇跡をもって、私たちを必ず助け解放してくださいます。

過ぎた18年を思い返すときにわかる事は、神様は決して私たちを見放したことはないという事です。それだけではなく、神様はさらに偉大な恵みを注いでくださいました。北角(パッコック)に教会があった時から今、荃湾(チュンワン)にいたるまで、私たちはたくさんの良い時、悪い時を通り、さらに誹謗中傷などの攻撃を受けてきました。しかし、神様は常に私たちと共にいてくださいました。

2014年に起こった「Occupy Central(佔中=セントラルを占拠せよ、という意味)事件から今回の「逃亡犯条例」に至るまで、私たちはこの大荒れの状況の中でも神様が導いて下さっている事に感謝します。今年の6月にイスラエルに招待され、私たちはそこでエルサレムの平安の祝福と啓示を受け取って帰ってきました。その後すぐに「十戒」についてのメッセージを日曜礼拝でする事になりました。それに続き「自由があるところに自制もある」というコアバリューが生まれました。神様は私たちのただなかに臨在して下さるので、私たちは神様の御言葉に堅く立てるのです。

そして、私たちは非常に感謝しています。弟子訓練をしている若い世代が立ち上がり、私たちと心をひとつにして歩んでくれています、また私たちの矢筒にはたくさんの矢が満ちているのを見、感謝で一杯です。『幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない。(詩篇127編5節)』『父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。(マラキ4章6節)』最近、日曜礼拝やフライデイナイト(ユース礼拝)で若い人たちが賛美や劇で奉仕をしてくれています。これは、彼らが人生を通して神様についていっている証拠であり、また彼らは神様の心を語るために立ち上がっています。神様の祝福は私たちになんと偉大なことでしょう!

香港は若い人たちによって揺り動かされています。しかし、私たちの教会の若い者は神様の御言葉によって立ち、揺り動かされず、そして熱心になって街のために祈っています。これは実であり、私たちの教会が長年かけて継いだものです。これは神様の恵みであり、私たちにとって祝福です。

香港の社会制度は完璧ではなく、社会全体的な繁栄を得ることが出来ていません。今日の若い世代は前の世代の努力の実を受けているのです。前の世代が汗を流して苦労した事を、まだ若い世代の彼らは体験していません。この嵐を経験し、このすべての出来事を振り返るでしょう。新しい世代この経験を通してさらに成熟して、賢くなっていくべきです。これは全ての人にとって、信仰が成長する貴重な旅路となるでしょう。

兄弟姉妹の皆さん。私たちが神様についていき、そして神様が私たちをどのように導いてこられたか、守ってくださったかを知るときに、私たちは神様に信仰をもってついていく事がどんなに素晴らしいことかを知ることが出来ます。

■【2019.09.08】ジョシュア•チャン師
本稿は611霊糧堂週報948号より抜粋