神様についていくという事は、私達の「いのちの木」の信条であるだけではなくて、19年間の教会を導く上での私の態度でもあります。常々私が神様に尋ね求めた事は「神様は何をしていらっしゃるのか」そして「神様は私たちに何と語っておられるのか」の二つでした。私たちが聖霊様の流れにぴったりとついていく限り、私たちは奇跡の証人となるのです。神様は「牧師のコラム」を「神様についていく」というタイトルに変えなさいと夢を通して促しを与えてくださいました。私たちが神様の御言葉に聞き、そしてついていく事が出来ますように。
先週、私たちは2回目の国際合同オンライン礼拝を行いました。43の枝教会が11の国と地域から参加してくれました。最初の合同オンライン礼拝を行なってから、2ヶ月経ちます。この新型コロナウィルス蔓延で、私たちは枝教会とさらに深く繋がることが出来たと思います。オンライン礼拝は、実際に礼拝に集まっていた信徒が参加するだけにとどまらずに、枝教会の参加もさらに増えていました。そのなかで、さらに深く、そしてもっと広く、牧会することを充実させる事が出来ています。全体をみると、講壇からの弟子訓練の深さ広さが大きく拡大することになりました。
オンライン礼拝をすると決める前に、私たちはすでに11個目の中心的価値観である『愛のまし加わる時に、信頼もまし加わる』を日曜礼拝でメッセージすることを決めていました。しかし悔い改めの時を一緒にすることは考えていませんでした。当日ライブ礼拝の直前にこの悔い改めを含む進行表をほんの短い時間で最終確定しました。しかしびっくりするほどこの2つの内容は完璧にマッチしました。
私たちの兄弟姉妹は画面越しに、枝教会の牧師先生たちの涙ながらの罪の告白を見ることが出来ました。牧師先生方の正直な心からの権威者との関係の告白は真の愛と信頼がなしえる素晴らしさを表しました。それはメッセージになり、証にもなりました。礼拝を通して、私たちの教会をもっと知ることが出来ました。私たちはさらに、彼らとの繋がりと、関係をもっと深くもつことが出来ました。私は深く感謝し、大変驚いています。これらすべては人の手の働きではなく、神様の計画なのです。
今週のモーニングデボーションでは詩篇119編を読んでいます。私たちは律法と十戒の啓示を与えてくださるようにと、神様に祈りました。神様の恵みがあるから御言葉を理解できるのです。御言葉をただ読むだけではなくて、その御言葉を人生の中で生きることなのです。神様についていく事は簡単なことではありません。世間からの敵意や、権力者たちからの中傷などに合うこともあります。しかし、このような状況の中でも、私たち自身をあらゆる嘘から遠ざからなければなりません。私たちは朝早くに神様の御前で立ち上がり、ゴミのような世の中のメッセージによってではなく、神様の御言葉で私たち自身を養っています。御言葉にしっかりと立つこと、これもいのちの木なのです。神様の道と証に歩み続けることが出来るならば、私たちは地球に息吹をもたらし、世界を祝福することが出来るのです。
私はリーダーになることを考えもしていませんでした。私はただ心を尽くして神様についていきたいと願っただけなのです。今日私たちはこの感染症の蔓延によって行き詰まるような状況を打破し、オンラインで礼拝を配信することができます。これらは私がそうしたいからするのではなく、神様が計画して下さったことなのです。私が成し遂げたことは、ただ神様についていくという事だけです。私はビジョンの開拓者ではなく、ただビジョンを抱いた者なのです。
信頼なる兄弟姉妹の皆さん。神様はへりくだる者に恵を与えてくださいます。私たちは自身を低くして歩む者ですが、そこにはさらに偉大な神様の恵があるのです。最初、2月9日で行われた国際合同オンライン礼拝で悔い改めてから、神様は私たちとともにいて下さり、平安と守りがあります。神様は誠実なるお方で、私は神様がさらに大きな平安を過越の後に与えて下さることを宣言します。
【2020.04.12】ジョシュア•チャン師
本稿は611霊糧堂週報 977号より抜粋
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