新型コロナウィルスの収束の目処が立たない中、社会はさらに恐怖と不安の中に陥っています。しかし、私たちは神の民として、どうこの事態に応答していけばいいのでしょうか。この嵐の中に、祝福はあるのでしょうか。先週の日曜日のメッセージのテーマは「神様の恵みはいたるところにあります」で、良きサマリヤ人の話からメッセージしました。私は兄弟姉妹に「私の隣人は誰か」と尋ねるより、隣人にとって私たちが良いサマリア人となるようとに励ましました。この大変な状況の中で、躊躇することなく、この真理を実行していき、助けを必要としている周りの人々に、手を差し伸べていきましょう。
そこで私は新型コロナウィルスの影響が大きい地域の医療機関へのサポートとして献金を募りました。私たちは必要以上に恐れたり、おじけづく必要はありません。「どこでも親切に!」を実践し、愛を広めていきましょう。この大変な状況の中、教会の若者たちが隣人を訪問し、マスクに啓発の勧めのメッセージを添えてプレゼントしました。またある者たちは、自分たちの文章を書く特技を生かしてオンラインに記事をアップしたりしています。本当に感謝なことです。
外に対しては、私たちは愛をもって行動しましょう。しかし、内側はどうすれば良いのでしょうか。私たちは神様とさらに深い交わりを持つべきです。今週はゼパニア書をモーニングデボーションで読みました。ゼパニアは「神様は隠される」あるいは、「主が隠し、秘め置いている事柄」という意味です。私たちは水曜日に第2章を読みました。神様はこの困難な日を通して私たちに語って下さっています。私たちは神様の御翼のかげに隠されることでしょう。まことに神様から隠され守られるとは祝福です!神様の民として、私たちは神様からの特権と守りを楽しむことができることに感謝します。
私たちは、どのようにして、このかくまわれる祝福を受け取ることが出来るのでしょうか。主の怒りの日が来る前に、ともに集まり、そして主を求め、義とへりくだりを求めましょう。そうすれば私たちは主によってかくまわれるかもしれません。(ゼパニア書2章1~3節から)神様の民は集まらなければなりません。集まれ、集まれ。主を求めよ。義を求め、へりくだれ。そうすれば、私たちは神様の残された民として、神様にかくまわれるでしょう。
オンラインで行われた礼拝の視聴の数を通して、兄弟姉妹がすごく恵まれたことがわかります。これはまた、私たちと遠くにある枝教会とも良い繋がりになる事も出来ます。私たちはともに集まり礼拝することは出来なくなりましたが、オンライン礼拝は続けます。火曜日から金曜日のモーニングデボーションの灯もともし続けます。聖書を読むことによって灯をともし続け、聖霊により奉仕し、神様の宮の光を保つことが出来ます。
新しい繋がりと、心による集まり、神様の義とへりくだりをもって私たちは求めましょう。私たちは場所や時間に制限されません。教会のメディア部門はこの時、このように立ち上がったのは、予想外でした。これはまことに、神様は私たちのただなかで、働き、不思議を行われています。愛する兄弟姉妹の皆さん。神様はいつも私たちと共にいます。へりくだりをもって神様を求め、義を行い、あわれむことを愛しましょう。そうすれば、私たちが神様の愛と柔和を分け与えるとき、私たちはかくまわれるでしょう。
【2020.02.23】 ジョシュア•チャン師
本稿は611霊糧堂週報 972号より抜粋
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