

モーニングデボーションで出エジプト記を読んでいます。イスラエルの民は過ぎ越しの祭りを守るために、7日間種なしパンを食べました。これは、彼らが主の力によってエジプトを去り、神に従うことを決心し、この世とエジプトのパン種を取り除くことを意味します。彼らは聖別され、新たなスタートを切ったのです。私たちクリスチャンもまた、神に従う旅路の中で、この世のパン種を取り除く決意をしなければなりません。
10の災いと紅海渡りいう偉大な奇跡に遭遇した後で、イスラエルの民は3日間水がなかったという理由で、不平を言い、エジプトでの生活を懐かしがりました。レフィディムで宿営していた民は、神は彼らが渇きで死ぬことを望んでいると不平を言いました。肉体的にはエジプトを離れたのに、心はエジプトにとどまっていたのです。実際のところ、私たちもイスラエルの民と同じです。私たちは神の恵みを経験しても、過去を懐かしむのです。それゆえ、私たちは真理と現実の間で葛藤します。
私達のユースパスターのティムは、自分が常に競争ばかりする人間で、学業成績、肩書き、スタッフとして受けられる恩寵についても競してしまうと大胆に認めました。彼は励ましや称賛を必要としていました。彼の妻が彼を肯定し続け、いのちの木の雰囲気の元に居続ける中で、彼は他者と自分を比較するパン種を取り除くことを決心しました。私たちのメディアチームのスタッフであるボアズは、上流学校で育ち、ブランド品を所有していました。その後、彼はテレビ局のリポーターとなり、「よく働き、よく遊べ」という世俗的な考えに影響されました。彼が真理を知るようになった時に、彼は極端な方向に走り、服を買うこと一切やめました。今、彼はパン種を取り除いてくださる神によって恐れを克服しようとしています。
私たちがパン種を取り除き、神によって聖別されるのは、すべて神の救いと聖霊の働きによるものです。聖霊はイスラエルの民の前を歩き、彼らをエジプトから導き出しました。今、聖霊は私たち一人ひとりの上に生きておられ、私たちにはイエス様の贖いの血潮が与えられています。これらすべてのおかげで、私たちはより良く自分の態度に向き合うことができます。
2000年に聖霊に満たされ、新たにされて以来、現在に至るまで、私は多くの荒野を経験してきましたた。しかし、私は神に不平を言うことありませんでした。かつて師母が危うく命を落としそうになった時には、私は彼女に私の靴を履かせ抱きかかえて、私自身は裸足で病院を退院しました。神様は私達に、カナダから香港に、持ち物を全て売り払って帰って来るよう語ったのに、ただ師母を死なせるためだったのですかなどと、私は神に対して文句を言いませんでした。そのような時でも、私は神の義と力を疑いませんでした。感謝なことに神は私の祈りによって師母を救ってくださいました。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私たちは神の御霊と神の尊い血潮の覆いによって、この世のパン種を取り除くことができます。あなたが神に従い、神の誠実さを真に体験することによって、神をより信頼することができますように。