振り返ってみると、私は長年神様に従うことを学んでいく過程で気がついたことがあります.それは神様に従う上で、私たちが慣れ親しんでいる事や安心感が神様に従うことを妨げる要因の一つになることです.
どのように私たちは常に飢え渇き、自分自身を空っぽにすることができるのでしょうか?私たちは神様が常に新しい事をし、様々な状況において神様の導く方法があることを知る必要があります。神様は私たちに新しい啓示を与えてくださいます。伝統には利点があるので、それ自体を否定しているわけではありませんが、時に伝統は神様に従う際の障害になりえます。私は男性として、自分の理性が既存の良いものを手放すことを時に邪魔していることを認めざるをえません。私は懐古主義で過去にしがみついてしまう傾向があるので、伝統を手放すことは私にとって少し難しいことです。しかし、神様に従う教会として、私たちは発展し、成長するために変化を受け入れなければならないことを心の底では知っています。師母は私の助け手であり、彼女が多くの新しい変化をもたらしてくれたことに感謝しています。彼女との衝突を通して、私はさらに手放すことを学び、そのことによって私は新しい段階に進み、神様は新しいことをすることができます。
同じことが私たちの教会スタッフにも起こっています。彼らもまた、神様に委ねることを学んでいます。例えば、ウィンとウェイミンも神様に従う中で自分自身を手放すことを学びました。ウィンは、天国劇団や礼拝で奉仕しながら、日々、伝統の枠を破り続けています。彼女はある特定の礼拝の形式や劇の規模で満足すべきではないと思っています。私たちは、神様が新しいことをしてくださると信じる必要があります。今、彼女のチームは自らのビーイング(得意なこと)を発揮し、作曲することもできます。私たちが自分自身を手放し、不安があることを認め、神様に働いていただくことを学ぶ時、活力に満ちていきます!ウェイミンはメディア・チームで同じ経験をしています。過去に彼は高い基準に固執していたので、彼のチームにいるスタッフがストレスを感じていただけでなく、彼自身も朝から晩まで仕事をしていました。実際、それは彼の安心感の欠如から来るものでした。今、妻の助けを借りて彼は徐々にチームを信頼し、父親になることを学んでいます。彼の人生は変わり始め、今日、彼はいのちの木の証し人となりました。
神様に従って行く道のりで、過去に正しいことを行わなければ、今日がこれほど良いものにはならなかったことは理解しています。しかし、人々の必要は時間とともに変化していくので、変化や調整をしなければ、神様が行う新しいことを経験することはできません。歴代誌でモーセの幕屋とは異なる、ダビデが行った神殿の変革を思い出させます。幕屋から神殿、荒野から王国、そして捕囚の帰還から新約時代の教会、神の宮の形式は絶えず変わっています。香港の環境、そして私たちの教会の兄弟姉妹も変化しているので、私たちは神様に従いながら常に刷新と変化を経験しなければなりません!
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私たちは常に飢え渇き、神様の祝福の中で変えられ、神様について行きましょう!
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