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いのちの木によって現される神の御国

私がいのちの木のビジョンを受けて以来、神は徐々に私たちを導き、啓示を明らかにされてきました。振り返ってみると、神は私に対して常にいのちの木の教会を建てるよう導いていたことに気がつきました。私のビジョンは611(イザヤ書61章1節)なので、私たちの教会は611霊糧堂という名前です。いのちの木の教会は神の御国を現すためのものです。しかし、このビジョンの内容は非常に深く、広く、素晴らしいため、まるで忘れられた高価な真珠のように、教会の歴史や神学ではほとんど議論されていませんでした。今現在はこのビジョンはまだ発展途上であり、完璧に達成するには未だほど遠く、無理です。

実際、いのちの木の教会は神の御国を現すためのものです!では、神の御国とは何でしょうか?創世記によると、神が最初に天と地を創造した時、サタンは存在せず、すべては神の支配下にあったのです。これが神の御国です。しかし、御使いが堕落した後、神の御国の一部は暗闇に陥りました。イエス様が再び来られる時、マタイの福音書に書かれているように「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と、神の御子は神の御国を地上にもたらすでしょう。神は私たちをこの世から召し出し、暗闇の中で光の子とし、神の命で満たし、神を信じて従い、神とつながる者とされました。今日の世代は、神とサタンが戦っているように、光と闇の戦いに直面しています。その結果、光の子たちは暗闇の攻撃を受けています。神が私たちに望んでおられることは、私たちがいのちの木を通して神の御国を生きることです。それは黙示録 22 章で述べられている新しい天と新しい地として現れており、そこで私達はいのちの木を見ることができます。

なぜ今日の世界には、いまだに多くの問題があるのでしょうか。それは多くの人々がまだ片足を光の中に、もう片方の足を暗闇の中に置いているからです。彼らは光の国とは何か、いのちの木とは何かを理解していません。私たちがいのちの木についてばかり語り、イエス様についてなぜ語らないのかと疑問に思う人々がいます。いのちの木はイエス様ご自身ではありませんが、イエス様から来ており、イエス様とつながっています。黙示録に述べられているように、神と小羊の御座からいのちの水の川が流れ、都の大通りの中央、川の両側にいのちの木があります。いのちの木は川によって養われ、都の中に位置しています。都は神の臨在を表しています。私たちはいのちの木であり、神に仕え、神の似姿に造られています。私たちはまた、暗闇の世界における光の御国を表しています。人々は私たちを見るとすぐに私たちを神と結びつけます。新しい天と新しい地全体、そして新しいエルサレムの聖なる都は、いのちの木を取り囲んでいます。霊的に言えば、キリストは教会の長であり、教会はキリストの体であり、キリストの一部です。黙示録の観点から見ると、いのちの水の川はキリストの御座から流れ出ていのちの木を養うので実際には一つなのです。

神が私に託したいのちの木のビジョンは、主の祈りの中で言及されている神の御国(旧約聖書で言及されているものとは異なります)であり、新しい天と新しい地であり、パウロが説いた「栄光の福音」の「栄光」によってもたらされているすべてでもあります(第一テモテへの手紙 1:11)。

旧約聖書の時代、イスラエル人はいのちの木になることを望まず、この世の木になることを好んだため、本来あるべきように神の御国を現すことができませんでした。今、私たちはイエス様にあって、神の御国でいのちの木になることに必ず成功するでしょう。しかし、私たちはまず新しい皮袋になって、絶えず啓示に満たされなければなりません。このビジョンを受け取っているので、私達は信仰をもって神様に従い続けましょう!■【2024.06.23】

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