主に感謝します。教会が20周年を迎える中、神様は、私たちに自分たちの「Beingあり方」を発掘させてくださいました。私と師母はただスタッフたちが、自分たちの「Beingあり方」を発掘する手助けをするばかりでなく、611教会の夫婦キャンプをも「Being カップル・キャンプ」にアップグレードしました。今、次の世代もこのことを受け継ぎ、キャンパス・パイオニアの働きや、バスケットボール・キャンプ、ユース・キャンプなどを通して、学生たちが自分たちの「Being」を発見し、神様が創造された本来の美しさを発掘する手助けをしています。
コロナ渦のため、台南永仁バスケットチーム(台湾)が、今年はうちのバスケキャンプに参加できませんでした。それでも、うちのスタッフのみなが全て自分たちでやりくりしてくれて、コーチまで用意しました。バスケキャンプはバスケットボールが好きな若者を集めて、彼らの人生に影響を与えるものです。バスケの戦術や技は、「Doing行い」に過ぎず、いずれは消えていきます。しかし、みんなが同じ趣味のために一緒に集まることで、それがスポーツ、大会、自己鍛錬であっても、この交流を通して年齢の壁を超え、会うことができます。これこそが「Beingあり方」です。
私は多くの若者を見てきましたが、受け身だったり、無口だったり、教師の目には問題児だったりする者たちも多くいます。しかし、バスケに関しては心を開いて語ってくれます。保護者の方々も、子どもたちの新しい一面を発見できて、感動していました。彼らが輝いており、コーチにも従い、積極的にすらなっていたのです。これこそがコミュニティの威力であり、更には彼らの「Beingあり方」が開放された効果です。
バスケキャンプの間、ある者たちは短いメッセージを聞いてイエス様を信じ、ある者たちは朝のディボーションを通して弟子化されミニストリーを受けました。これが私の「Beingあり方」です。師母が私にあだ名をつけたのですが、それが「丸い四角」なんです。バスケは丸くて、聖書は四角いからです。私はバスケをするのが好きで、同時に聖書を学ぶのが好きです。私はバスケが好きな牧師で、これが神様が私の中に入れた「Beingあり方」です。私が自然に楽しめるものなのです。
「男よ、家に帰ろう!」という本を書きながら、最近私は、神様の創造された本来のあり方に、思いを巡らせています。ある日のディボーションで私は、りんごをバナナと間違えないようにと説教しました。天の御国の「Beingあり方」は誤解されていたのです。当時、人々は天の御国を「Doing行い」の視点で解釈していて、メシアがイスラエルの国家を復興させるという期待をしていました。しかし、神様は永遠についての話をしていたのです。
私も自分に問うことですが、どのように自分の「Beingあり方」は見つけるのでしょうか。多くの場合、私たちの「Doing行い」はBeingあり方」から発していません。私たちはむしろ、世の中の基準や承認を追いかけています。例えば、一生懸命に仕事をして、持ち家を得、結婚し子供をもうけ、などなど。これらは「Doing行い」で神様が与えられた方向性ではないのです。全ていつかは過ぎ去るものです。これらのものを追いかけて、終りには何一天国にもって行けないとは何と疲れることでしょう。神様がくださるものを受け入れて初めて自分の「Beingあり方」を発見できるのです。そのように、徐々に、私も自分が神様の御言葉とバスケを愛する使徒であることを発見しました。
神様が私たちの永遠の視点を開き、神様が創造した自分のユニークな姿をコミュニティにおいて見出しますように。一人ひとりが自分の「Beingあり方」、神様が造られた本来の自分を見つけますように。■【2021.08.15】
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