神様に感謝します!コロナの影響の中、教会は発展し続けていて、私たちの教会ではオンラインの需要が高まっています。その中で、私たちのメディアミニストリーが成長していることを感謝に思います。教会スタッフたちは「神様について行く」と「ママのキッチン」などの動画の視聴者数を上げるため、色々な努力を重ねてくれています。たくさんの人々が私たちの教会から、いのちの木の「呼吸」と「栄養」を受け取る事は私たちの願いでもあります。
しかしながら、そのような発展がこれまで誇りに思っていた私たちの文化に対抗してきているのです。私たちの教会では普段から北京語と広東語の2ヶ国語での同時通訳で礼拝をし、兄弟姉妹の中でも両方の言語を用いて交わっています。しかし、オンラインの世界では正確で簡潔な動画が求められています。英語か中国語のどちらか一方で配信される動画は高い視聴率が得られます。なぜなら現実的にも英語か中国語かどちらかの言語を話す人の割合が最も多いからです。
新しい必要に答えようとしているメディアの働きと牧会の方針をどのように考えていけばよいでしょうか?まず私たちは、満ち足りる心をもって神様について行かなければなりません。
以前に私たちはモーニングデボーションで「士師記」を読みました。神様がくださったものに対して人々が不満を抱き、その結果たくさんの問題が起こってしまったことを士師記で見ました。まずは、士師記時代のダン部族を例としてあげましょう。ダン部族は神様が与えてくださった土地を得るために力を尽くさず、さらに神様からの割り当ての地に不満を抱いていました。それどころか、彼らは自分たちの土地ではない土地を盗んでしまいました。このことは私たちに、このオンラインの世界で神様についていくには、私たちの目に見えることだけに頼ってはならないということを思い起こさせてくれます。どの言語で放映するか、または複数国語を使って配信していくのかということが問題なのではありません。私たちは動画配信の「専門店」または「デパート」を造っているのではありません。私たちは純粋に満足する心で神様について行かなければならないのです。
私たちの第一言語は広東語です。もし必要であれば北京語も話します。しかし、高い視聴者数を得るためだけに、言語を変えて動画を配信することは私たちのゴールではありません。もしもっと多くの人々に届き、その人達の祝福になるのならば、それはとても良いことです。しかし最も重要なことは、私達は神様がくださるもので満ちたりた心をもてるかということなのです。
一般社会におけるオンラインの現場は、いかにシンプルでアクセスしやすくするかということに心血を注いでいます。もし神様が私たちにメディアを使うたくさんの機会を与えてくださるのであれば、喜んで「専門店」仕様で用いさせていただきます。しかし、多数の動画を配信する「デパート」のようになってはいけないのです。特にこの新型コロナウィルスの蔓延という環境の中でのメディアを使ってのコミュニケーションやオンラインでの牧会は私たちにとっては新しいことです。これからも私たちはメディアにおいて、発見や発展があるでしょう。その中で、私たちは最低限のことを守っていなければなりません。私たちはメディアを偶像化し、音響や映像の質などを神様と引き換えて、複雑で不自然なメディアを提供してはなりません。
神様は私たちの教会に二ヶ国語どころか多言語を用いながらも、一致できる文化を造り出してくださいました。これは神様のユニークな導きでもあります。広東語、北京語、そして英語を話す人々がそれぞれの言語で交わり、また他国の人たちとも交わり、礼拝を行っています。私たちは言語に制限されないコミュニティーとなっています。教会にとって大きなブレイクスルーです。しかし、多国語を用いる良い文化を、動画配信視聴者数の犠牲にしてはなりません。そのかわり、私たちの教会の素晴らしい文化と雰囲気を、オンラインの世界でも用いようではありませんか。
愛する兄弟姉妹の皆さん。この世界が混乱に陥っていく中で、私たちがどこにいたとしても、満ち足りる心で神様について行きましょう。神様に信仰をもってついて行き、目に見える世界にではなく、いのちの木に歩みましょう。神様は必ず深い安息の中に私たちを導いて下さいます。【2021.02.21】
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