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いのちの木となり、王なる祭司となる

発射の年である2025年に、私たちは教会創立24周年を祝いました。神は、モーセをテーマにした二つのミュージカルそして、教会創立の記念礼拝で披露されたダンスドラマを通じて、私たちが王である祭司となることについてのさらなる啓示を示してくださいました。これによって、いのちの木のビジョンへの理解が更に深まりました。

2001年、神は私に香港で教会を建てるよう召されました。空港で私はイザヤ書61章1節を通して教会のビジョンを受け取りました。この聖句は教会の土台となるもので、私たちの教会名である611霊糧堂の由来にもなりました。聖句を詳しく調べる中でイザヤ書61章3節に出てくる「義の樫の木」がいのちの木であることに気がつきました。そのため、教会のリトリートがある度に私はスタッフにいのちの木をテーマとしたドラマを考え、演じるようさせました。当時、私たちはいのちの木に生きるとは、単に多くの愛と恵みを示すことだと考えていました。教会の初期の頃はいのちの木についてはこのような曖昧な理解しか持ちあわせていませんでした。2008年までに「聖霊が御言葉を生かす」、「聖霊が聖めをもたらす」、「聖霊が働きを生み出す」等の9つのコアバリュー(教会の核となる価値観)が生まれました。聖霊様は不可欠な存在で、私たちがいのちの木のビジョンを実現するための鍵です。

2025年、私はいのちの木のビジョンは神に栄光を帰するために王である祭司として仕えることだと理解しました!モーセのミュージカルでは、神はモーセを仲介者としてみなしていました。モーセは神の前で人々を代表し、人々の前では神を代表していました。モーセは旧約聖書において人々のためにとりなし、祭司の王国を体現しています。新約聖書の第一ペテロの手紙ではこのことを王である祭司と描写しています。神は王である祭司として仕えることができるように私たちをいのちの木として建てあげてくださいます。それは都市のためにとりなし、人々が神に従うよう導く仲介者です。創世記から黙示録まで、神は常にいのちの木を植え続けてきました。黙示録の最後の章では、聖なる都のいのちの木について言及されており、毎月実を結び、その木の葉は国々を癒します。その都には神と小羊の御座があり、神のしもべたちがは神に仕えます。永遠に神に昼も夜も仕えることが祭司の役割です。いのちの木とは祭司の王国であり、聖なる国民です。

「またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。」(エペソ人への手紙 1:11-12)「受け継ぐ」は原語では「相続となる」という意味で、私たちが神の所有物となったことを示しています。神が私たちを所有しているのであって、その逆ではありません。私たちの人生は呪いから解放され、敵を踏みつけることができる王であり祭司に造り変えられています。私たちの人生の変革を通して、神の栄光が現れるのです。

これが神が過去24年間にわたって私に示してくださった「いのちの木」のビジョンです。親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私たちが信仰によって神に従い、王の祭司として仕え、神の所有物となることで、神に栄光を帰すことができますように!

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