

教会が設立されてから24年、モーニングデボーションを通して灯をともすことは、私たちが非常に重視しているミニストリーです。神のために灯をともすとき、神は御言葉の啓示の光を賜り、教会をその御心に従わせて導いてくださいます。モーニングデボーション中で欠かせない部分の一つ—追求は、私たちを真理に導く鍵です。
私の伝統的な教会の経験では、神の御言葉だけが重視され、説教の後に人々にミニストリーすることはほとんどありませんでした。しかし、イエスが教えた後、彼は人々にミニストリーをし、彼らの為に癒し、そして祈りました。聖霊に新にされて以来、私たちは神の御言葉を宣言するだけでなく、聖霊に従って人々にミニストリーし、真理を示す必要があることに気づきました。したがって、モーニングデボーションの中で御言葉をシェアした後、私たちは祈りと追求に従事します。
この世界は目に見えるものからではなく、神の言葉から成り立っています!神の言葉を宣言した後、私たちは行動を起こします。したがって、モーニングデボーションでも、応答の時間の中で預言的な行動をしていきます。香港でSARSが流行していたとき、教会は北角の桟橋で100日間の伝道集会を開きました。その100日の間、私たちはイエスが語ったことを宣言し、イエスがしたことを行いました。私たちは神の言葉と霊がそこに働いていると信じており、神の言葉が香港に変化をもたらし、香港を守って下さる事ができると信じています。これがモーニングデボーションでの応答です。
私たちはまた、御言葉の現実を共に体験しています。最近、モーニングデボーションの中で、主がモーセに幕屋の設計を示された箇所を読みました。それで私は会衆を霊的に聖所と至聖所に入るよう導き、すべての教会スタッフは御言葉の真実を深く感じました。ヘブル人への手紙には、「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」と書かれています(ヘブル 11:1)。聖霊と共に、私たちは神の御言葉を行い、信仰と調和させて入ることができます。世界は変わり、神の御言葉と現実が私たちの地に臨むでしょう。
私たちは神がその御言葉を通してすべてを成し遂げると信じています。リーダーは信仰を持たなければならず、導かれる者も信仰を持ち、共に神と相互作用する必要があります。これは霊的な領域であり、目に見える世界よりも現実です。聖霊は私たちをこの現実に導くために来ます。感謝します。私たちは通常、4年ごとに聖書全体を読みますが、毎回、新鮮なマナがあります。これは神が教会に特別に与えた部分です。皆さんが豊かな霊の糧を受け取り、聖書の現実に入ることを願っています。