神様が私たちにいのちの木を植える事を語られた時、当然のように私たちはこの事は次世代に継承していくと考えました。しかし、多くの教会は若い世代のメンバーがいない状況です。私たちはどうすれば良いのでしょうか。神様について行くうえで、どのような視点と態度を取ればいいのでしょうか。私はこの問題を考えてきました。
牧師の子どもたちが成長すると、教会に来なくなるのは、よく知られている問題です。信仰は保ったとしても、彼らは両親とは違う教会に通い、なるべく両親から遠いところにいようとします。牧師の子どもたちだけではなく、若い世代が教会から離れて行っています。
弟子を霊的に養うのは、私たちの最優先となっています。師母と私は200人を超えるスタッフ達、100ほどの枝教会の主任牧師達とスタッフたちを弟子訓練をしています。しかし私達はスタッフ達を霊的に養うだけではなく、彼らの子どもの世代にも心を配っています。
以前、教会のフルタイムスタッフをしている夫婦と話をしました。その時に、両親が退職して教会で働くと決めた時に子供達はどう感じたかと尋ねました。子どもたちは両親の経済を一番に心配していました。私は1989年に献身して今に至ります。その中で気づいたことは、神様にフルタイムで仕えると決心した両親たちは、信仰を堅く握らなければならないということです。彼らの日々の生活の中で、彼らの言葉、行いと教えを通して神様にある豊かさ、主ご自身が私たちの相続である事をあらわしていく必要があるのです。
なぜ牧師達の子どもたちは、神様に仕えると貧しくなってしまうという考えになってしまうのでしょうか。霊的豊さというのは、日常生活に支障をきたすという事なのでしょうか。なぜ両親が牧師になってしまうと、貧しくなってしまい、彼らの子供たちは人生の選択の余地が失われてしまうと感じ教会を恨みに思い、教会と距離を置き、最後には教会と線を引いてしまうのです。
豊さというのは収入のレベルとは比例しません。豊かさというのは、人生の豊さのことなのです。子どもたちが大きくなってこの事を理解するようになる前に、両親は彼らの考えを理解することを学ぶ必要があります。たいていの両親は子どもたちをどのように導けばいいのかわからないので、両親は宗教的な理念を子どもたちに押し付け、結果的にそれは失敗に終わるのです。
教会の主任牧師として、200人ものスタッフの家計を喜んでお世話しています。彼らが不十なく生活するだけでなく、家計、財産をしっかり管理し、貯金をする事を願っています。一方、特にメッセージをする教会スタッフ達には、日々の歩みがいのちの木と一致するように、そして言葉と行いが一致していくことを励ましています。この神の豊かさを生きざまを通して表すことです。私たちは心から、神様が私たちと共におられ、神様は生きておられ、そして私たちの必要を全て与えて下さると信じなければなりません。私たちが神様について行くとき、私たちの次世代は守りと覆いを心から楽しむことが出来るのです。■【2021.06.27】
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