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「Holy Day (聖日)」であって、「Holiday (休日)」ではない

教会の日曜礼拝では、「十戒を探求する」シリーズがメッセージされています。これは私たちにとって宝となっています。私個人にとっても、大きな益となっています。今、私は「神様の御前に来る」ということの意味は、つまり神様を礼拝する、そして臨在の中に止まるという事です。安息日とは「Holy Day (聖日)」で、「Holiday (休日)」ではないのです。私たちが安息日を聖なる日とし、そしてこれを神様にささげる時、私たちは神様を礼拝し、そして神様とつながることになります。神様は必ず多いに祝福して下さいます。

では「Holy Day (聖日)」と「Holiday (休日)」の違いを見てみましょう。私たちが安息日と「Holiday (休日)」と考えるならば、Holidayの真ん中の文字には「I (英語で私)」という文字が中心にきていて、日曜日は私個人のもの、つまりこれは私の休日ということになってしまいます。

先週の日曜日に、私は十戒の第4番目の戒め「安息日を覚える」をメッセージしました。私は7枚の500香港ドル札を日の例えとして使い、神様が下さった7日間を説明しました。私たちは7日間を全部私たちのものだと考え、「I (私)」が中心となって日々を過ごしています。ハイキングに行ったり、色々な行事に参加したりします。特に今は、新型コロナが流行っていて、私たちは自由な時に礼拝をオンラインで視聴します。私たちはこの安息日を休暇日のように過ごしてしまっています。私たちがたとえ、実際に教会に来ることが出来て、礼拝したとしても、携帯を確認したり、礼拝後のお昼ご飯は何を食べようかと考えたりします。その時、私たちはこの日を聖なる日としておらず、神様にささげることが出来ていません。

しかしながら、私は十戒のメッセージを通して、「Holy Day (聖日)」の真ん中に「Y」、「ヤハウェ (Yahweh)」があることに気付かされました。私たちは神様を中心としなければなりません。私たちの心を神様にささげ、そしてこのお方に完全に属する者とならなければなりません。私はおそれを感じました。なぜなら、私はいつも時間ギリギリまでメッセージを考え、早めに恵の御座会堂に行かないでいる事に気付かされたからです。私は神様を待たせてはいけないと思いました。私が神様を待ち望むべきです。なぜなら、神様は私たちと、つながりたいと願っておられるからです。

神様のあわれみと安息日を覚えることに、どのような関係があるのでしょうか?イザヤ書58章の冒頭に、断食とは、何か偉業を成し遂げるように断食するのではなく、あわれみをあらわす事が断食だと語られていました。その後の13節から14節は、安息日を覚える時に、神様はご自身の民を高く上げて下さり、全てにおいて神様から与えられ、そして神様の約束が彼らのうえに成就すると語られていました。

あわれみとは私たちの人生の本質「Being」になるべきであり、外側の行いではありません。安息日は一週間のうちのクライマックスの日です。一週間の間、私たちはあわれむことを私たちの歩みとし、人々をそこに導かなければなりません。私たちのいのちは安息日に溢れ流れるでしょう。あわれみは神様の本質であり、私たち自身の本質にもなるべきで、これが安息日にあらわされなければなりません。そうなる時、神様は必ず私たちを祝福して下さいます。

愛する兄弟姉妹の皆さん。どのようにして神様について行けばよいのでしょうか。「聞く」ことが鍵です。私たちが神様に「聞く」ことが出来るとき、私たちはついて行くことが出来ます。もし今の瞬間、祝福されていないと感じるのならば、もしかしたら安息日を聖なる日とせず、休暇日となっていて、「I (私)」が中心になっているのかもしれません。私は神様に聞き従い、私たちの歩調を安息日に合わせなければなりません。神様が私と師母を香港に帰ってくるよう召された時、私たちは聞き従い、香港に帰ってきました。そして今、神様は大きく私たちを立ち上がらせて下さっています。神様は本当におられます。私たちが聞き従う時、神様は私たちを導いて下さいます。そして私たちは神様の祝福を体験することが出来るでしょう。■【2021.03.14】

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