週末はユダヤカレンダーで新年(Rosh Hashana 5781)の5781年です。そして、2週間後に大贖罪の日(Yom Kippur)があり、仮庵の祭り(Sukkot)があります。私たちが神様について行くときに、神様が油注がれた例祭を祝うのは重要です。さらに重要なのは私たちが罪を年に2回告白する機会をもつことです。種を入れないパンの祭り(ペサハ、過越の祭り)これは種を取り除くことに象徴される、私たちの罪を取り除き、救いに与かることです。もう一つの祭りの仮庵の祭りの先がけにある大贖罪の日に悔い改めをして神様の臨在に入って行きます。神様についていく時、私たちは罪を告白しなければなりません。
最近、神様はモーニングデボーションで語られる御言葉を通して、大贖罪の日に入っていくため、私たちを整えて下さっています。先週の水曜日に、私たちは民数記14章を読みました。神様はカナンの地を約束して下さっていて、その地はイスラエル人にとって、乳と蜜が流れる地でした。しかし、イスラエルの民は偵察した者たちから悪い知らせを聞き、モーセとアロンを非難し始めました。そして、「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。」と民は言いました。民は神様に対してエジプトから連れ出された事をつぶやき、そしてリーダーを選び、エジプトに帰ろうとしました。最終的に神様は全会衆が約束の地に入る事が出来ないという裁きを下しました。それでも民は神様に反抗し続け、カナンの地に向かいました。その結果、民が口にした通りは荒野で死んでしまいました。
この章では神様はおられ、まことの神様である事を私たちに教えています。神様は私が口に出す一言一言に対して、真剣に応答されます。私たちが軽々しく出す言葉やつい口にする不満に気をつけなければなりません。一方、モーセは民のため、そして神様の御名のゆえにとりなしをしました。神様はあわれみ深く、義なるお方です。この世代が不信仰のため約束の地に入れなかったとしても、40年間さまよった後、次の世代は入ることが出来ました。これは神様のあわれみで、神様の約束が成就するためでした。
この章はイスラエルの民が約束の地に入っていく新しいシーズンに入りました。また神様は611を新しいシーズンに導き入れて下さった事を示して下さいました。ヘブルの伝統では10のサイクルで新しいシーズンに入ります。私達のスタートは2001年、北角にあるフォートストリートに教会を建てました。その後に、北角碼頭(ノースポイント)に引っ越ししました。第2シーズンは2007年に教会が荃灣(チュンワン)に移った時に始まりました。そして今、2020年、私たちの教会は20周年記念を迎えます。先週、2020年9月6日は主日礼拝1000回目を迎えました。私たちは今、未体験の第3シーズンに入ろうとしています。私たちは苦難に直面することもあるかもしれない新しい段階に入ろうとしています。決して神様を侮らないようにしましょう。私たちは信仰をもって、神様についていきましょう。人が神様を侮るとき、神様は疫病をもって人に裁きをもたらされるからです。
『主はモーセに仰せられた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。わたしは疫病で彼らを打って滅ぼしてしまい、あなたを彼らよりも大いなる強い国民にしよう。」』民数記14章11〜12節
私たちが信仰によって神様についていき、新しいシーズンへと入る事が出来るように神様が助けて下さいますように。私たちは今疫病や、経済の危機に直面していますが、私たちの肉の目で見えるもの対して恐れ、エジプトへ帰ろうとするのではなく、神様が私たちにして下さった偉大な事を見るようにしましょう。さらに、神様が私たちのために戦って下さることを知り、かならず広大な約束の地へと導いてくださることに目を留めましょう。【2020.09.20】
ジョシュア•チャン師
本稿は611霊糧堂週報 1001号より抜粋
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