初めてのパウロの劇をする事が出来て、非常に感謝です。そこで、私たちはよみがえりの主を見る事が出来ました。先週の日曜日は復活祭でした。パウロはよみがえられた主を見たあと、彼の人生は180度変わりました。パウロが異邦人に福音を宣べ伝えてくれたから、今日私たちもこのよみがえられた主を見、主の証人になる事が出来ています。これは、偉大な神様からの恵みなのです。この劇の最後に、スクリーンで代々歴史に出てきた使徒達の名前が連なっていました。そこに私と師母の名前が含まれていました。これを見て、私たちは非常に感動しました。《延伸閱讀:保羅音樂劇 看見復活主》
一番感動した劇のシーンが、イエス様が光とともにパウロに現れ「私はあなたが迫害しているイエスだ」というシーンでした。パウロはイエス様こそが本当に生きておられる神様だという事を知り、教会とクリスチャン達を迫害していた事を心から深く悔い改めました。パウロは彼自身こそが罪人の頭であった事を悟ったのです!しかし、イエス様はパウロを赦しました。なという恵みでしょうか!その恵みのゆえに、パウロは福音を宣べ伝える事に献身をし、主のため死にまで従い、そして教会のために犠牲となり、彼は無となったのです。教会スタッフがパウロの嘆くところを演じているシーンを見て私は感動しました。
聖霊様の心を思う時、聖霊が私たちの教会を悔い改めへと導いて下さっていたことがわかります。2月8日から9日に、33の枝教会による国際ライブ礼拝を行った時、全ての会衆がともに膝をつき、神様の御前にへりくだって、私たちの罪を告白し、罪を赦して下さるように、そして、この地を癒し、この疫病を止めて下さるように求めました。その後、神様はまた私たちに4月4日かた5日に国際ライブ礼拝を行うようにと導かれました。43の枝教会と共に私たちの罪を悔い改め、この感染症蔓延の為に再び祈りました。ともに、「愛が増し加わると、もっと信頼する」の中心的価値観を受け取り、私たちの中に愛が欠けていた事、そして関係の中に信頼がなかった事を深く悔い改めました。
パウロ劇を通して、神様は悔い改めが私たち自身の変革のカギだという事を示して下さいました。私たちは罪がある者である事、そして罪人である事を気づくというのはとても重要なのです。
なぜ教会は続けて罪を悔い改めなければならないのでしょうか。なぜ、政府の過ちを非難する代わりに、人々は罪を悔い改めなければならないのでしょうか。聖書は指を差しあうのをやめる事と、自分自身を見直す事を教えています。私たちは皆罪人なのです。「同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」(第1ペテロ5章5節)罪を告白する時に、私たちは恵みを受けるのです!
19年間の牧会の中で、私たちは皆弱い者である事をいつもメッセージしています。しかし、私たちが悔い改めるなら、神様は私たちを赦して下さり、大いに用いて下さるのです。
この世の人たちにとって罪を悔い改める事は難しい事です。あるクリスチャンの方達は、こう考えています。イエス様が十字架で全ての罪を赦されたのだから、私たちは何回も罪を告白する必要はなく、一回だけで十分。しかし、兄弟姉妹の皆さん。私たちがイエス様を信じた後でも、しばしば罪を犯すものです。もし、私たちが罪を犯していないというなら、神様についていく必要なんてないのです。悔い改める事はいのちへの道です。もし、私たちがすすんで悔い改めるなら、私たちと神様の関係を回復する事が出来ます。
この終わりの日の戦いで、敵は神様の御国を絶え間なく攻撃し続けます。クリスチャンはどのようにして、平安を見つけることができるのでしょうか。それは、悔い改めによってです。もし私たちが主イエスキリストの謙遜の外套を身に着けるなら、私たちは平安を保つことができるのです!この感染症蔓延の中でも、色々な困難の中でも神様が私たちに平安を与えて下さっていることに感謝します。それは、私たちは常に悔い改め、神様のもとに立ち返っているから神様が守ってくださっているのです。
この感染症の蔓延の中でも、私そして、兄弟姉妹の皆さんが続けて神様を待ち望むことが出来ますように、そして、聖霊様の導きによって、私たちの犯した罪を告白する事が出来ますように。そして、聖霊様によって満たされますように。皆さんが、よみがえられた主を見る事が出来るように、そして、悔い改めと人生の変革を体験し、神様の偉大に用いられる器となる事が出来ますように。
【2020.04.19】ジョシュア•チャン師
本稿は611霊糧堂週報 978号より抜粋
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