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弟子訓練―あきらめないこと(1)

3月31日に行われたセルリーダー按手式の朝食会で、ジョシュア牧師先生は出席者にこう問いかけました。

ペットを飼ったことのある人はいますか?さらに飼っているペットの死を経験し、罪悪感を感じ、もう2度とペットを飼いたくないと思ったことはあるでしょうか?例えば、飼っていた犬が失踪してしまったとします。その事で罪悪感を感じ、もう2度とペットを飼うまいと決心します。もしかしたら、私達の愛していた犬が亡くなった事により、もう犬を飼わないと決めたかもしれません。ある参加者はこう答えます『私の犬が亡くなった時、とても嘆き悲しみ、そしてもう犬を飼うまいと決めました。何故ならあまりにも辛かったからです。』というのは、犬が嫌いになったという事ではありません、再びあのような痛みに直面するのを恐れているのです。

ペットを飼うことは弟子訓練に似ています。弟子訓練の中で傷つくと、あるセルリーダー達は弟子訓練そのものを諦めてしまいます。他のケースだと、セルメンバーが1人、また1人とセルを去ってしまうこともあります。落胆し、彼らは再び傷ついたり、気落ちしてしまう事を避ける為に、弟子訓練をやめてしまうことを選んでしまうのです。しかし、私たちは恐れやごまかしを基盤に、このような決断をするべきではありません。どのような人生の状況においても、恐れやごまかしなどで決断してしまいそうな時であったとしても、それは正しい判断ではないのです。なぜなら、それは信仰や真理によって決断したものではないからです。ジョシュア牧師先生はどんな判断を下す前でも、必ず自分自身にこう問いかけます。

この決断は信仰によるものなのだろうか、それとも悲観的な事や恐れによって判断したものだろうか。もし、信仰によるのであれば、現実的な状況の恐ろしさを避けたり、逃げだしたりはしないだろう。すべて恐れやごまかしによる決断は神様を喜ばせるものではない。私たちの決断はどのように神様を喜ばせるでしょうか?私たちは常に、前に進み、ベストな判断を下せるような道を選んでいこうではありませんか。(続く)