4日間の真珠リバイバルカンファレンスでは611のコアリーダーの方たちや枝教会の牧師達が自分たちの人生における証を大胆に正直に語ってくださいました。それらは人生で打ち砕かれた経験からの回復の証であり、一粒の砂から輝く真珠になった証です。これらの証に私は深い感動を覚え、また私たちに与えられる神様の大きな愛と恵みに心から感謝を捧げました。
過去において、彼らの人生も人間関係も敵によって盗まれ、殺され破壊されていました。それはまさにシーモが昨年夢で見たとおりのことでした。今回の真珠カンファレンスを通して、神様は教会に失われた真珠を取り戻し、壊れた人生や家族や教会を新しく形作る方法を示してくださいました。
多くの人々は人の人生にではなく、働きにフォーカスを当てています。働きのためには他の人を犠牲にすることさえいとわないこともあります。教会の働きを拡大することが教会成長につながると信じているので、自分の妻を教会のために犠牲にさえするのです。これでは行き詰まってしまいます。周りの人をないがしろにすることは神様の御心に反しているのでチームを作ることができず、それでは天からの祝福を受けることができなくなってしまうのです。
エペソ4:11-12「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり…」
ある人は、五役者の教会とは、五つの賜物をもった五役者を用いて、五つの力強い機能(ミニストリー)を行っていく教会であると考えます。
しかし神は、五つの賜物とこれらの賜物を持った人を建てあげることに焦点を当てておられるのです。すなわち神は、働きではなく、人に対して焦点を当てておられるのです。
ですから使徒の賜物が与えられている主任牧師がなすべき一番重要な責任は、他の4つの賜物をもった人を見つけることです。そして四つの賜物を持った人達を通して聖徒を整え、養い建て上げ、それによって彼ら一人一人を真珠のように変えて行くことなのです。
教会の真珠が盗まれたのは、多くの人がミニストリーだけを追い求め、人の人生にフォーカスすることを無視してしまった結果なのです。教会はミニストリーを拡大させる代わりに、人の人生を形づくり、練りつくり変えることにこだわっていくべきなのです。
私たちはどのようにして聖徒を整え、人の人生を建てあげることができるでしょうか?
ヨハネ 15:1-2「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」
”取り除く”の本来の意味は『引き上あげる』『起こす』ことです。実を結ばない枝はまず上に持ちあげる(認める)べきです。それから悪いものは取り除き、良いものは実をならずために取っておきます。私たちは自分の力で『引き上げられる』『刈り込まれる』のではありません。自分達の権威者、そして聖霊様と父なる神様につながれば良いのです。私たちは共に聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストの体を建てあげて、教会が栄光を受け取れるようになっていきましょう!兄弟姉妹の皆さん、私たちは命を与える教会にならないといけません。ですから権威者と、神様に繋がり、すべての信者を建てあげ、神様の大切な真珠を取り戻していきましょう!
(本稿は香港611教会週報833号より抜粋 【2017.06.25】ジョシュア・チャン 主任牧師 )